2006年01月01日

いのちの大切さって?U

住職「今日も地域の見回り、ご苦労様」

妻「最近、変な人がうろうろしているらしいのよ。他の学校には乱入事件があったようだし」
住職「私たち一人一人もかかわっている問題だな」

妻「どういう意味?」
住職「お釈迦様は、私達の一人一人の欲、損得ばかり考える心が、社会の悪を作り出している、とおしゃっておられます。
確かに今の社会の犯罪の多さ、学校にも鍵をかけなければ安全でなくなった社会は、私達一人一人のお金中心という欲の心に無関係ではなく、私達の小さな欲の塊として社会の悪を作り出しているのかもしれないよ」

妻「ふ〜ん」
住職「だから、私もその一人にならないように、子ども達には、せめて両方の祖父の月命日には手を合わすようにうるさく言うのですよ。
又、仕事においても自分の役割と思い、命への感謝をもてる法事をご家族でおつとめするように勧めているのです」

妻「以前までは、法事を勧めるのに、お布施を要求しているように誤解されるのが嫌と言っていたのに」
住職「そうだったなあ!若い時と違って、仕事への思いと責任を感じるようになってくるのかな?
何より、聞く身になってきたかも?」

妻「住職は教える者という意識が出てくると、聞くべき事が聞こえなくなるから、
誰よりも聞く人、聞かねばならない者と意識することが何よりも大事も」

住職「住職になる少し前から発行しはじめた『ひじり』が昨年で百号。
訳の分からない文章を百も読んでくださった檀信徒、有縁の方々に感謝しなければ」
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いのちの大切さって?T

住職「命の大切さが叫ばれているのに、相変わらず、少年犯罪や耳をふさぎたくなる事件が昨年も多かったなあ!」

妻「そうだったわねぇ」

住職「戦後、平和教育などでお題目のように命の大切さをいっていたのになあ!」

妻「やはり理屈だけではだめじゃないの」

住職「そうだなよなぁ、仏教のように実践となぜそれをするかの理屈が車の両輪のようになければいけないのかな」

妻「だからこそ、お寺の仕事が大事なのじゃないの!」

住職「?・・・」

妻「公な学校じゃ、手を合わして感謝するような教育はできないでしょ。
だからこそ、 お仏壇の前で命をいただいたご先祖さまに手を合わせて感謝する形が大事になるのよ」

住職「お金や家を子どもに遺すより、そういう感謝する心を相続してもらうことこそ大事なんだよなあ」

妻「よくおっしゃってるじゃない。今は親の法事も勤めない家もあるって。
損な事やしんどい事はしない風潮かも?」

住職「何も遺して貰わなくても、命をいただいた事に感謝する一時をもたせてもらうことが大事なのだけどなあ!」

妻「そうですね、お仏壇にご先祖さまから命をいただいた感謝のする機会をもてば、自分を支えてくれるお陰にもっと気付くようになりますね」

住職「私という身体は、ご先祖が一人でも欠ければなかったと考えると不思議。
父母から三十三代さかのぼれば、八十五億九千万人の先祖を数えるのだから」

妻「凄い!そんなにも!」

住職「だからこそ、お陰を感じる心を育てるためにも、
損得ばかりの生活から、お仏壇を中心として手を合わせるということを、
子や孫に伝えていただくことが何よりも命を大切にするって教える実践教育じゃないかな?」
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お盆のお経はなぜみじかい?

妻「また忙しいお盆がやってきますね」

住職「三日間にしぼって多くの檀信徒の家をまわるので、忙しく、心は先へと走って、なかなか丁寧なお経などあげられないお盆か。
なかにはお年寄りなどになると、ようやくロウソクをつけ、線香を立て終わるころには、こちらのお経が終わってしまうということもありました」

妻「いささか気がひけますね」

住職「情けは無用とばかり、心で精一杯のお詫びを言って、また隣の家へと走るのは、心がとがめないわけではないよ」

妻「一応、気はつかってるんですね・・・」

住職「いつかあるご住職が、お盆はみじかいお経でいいんだ、とおっしゃった」

妻「なぜなの?」

住職「私たち僧侶は、お盆には薄いスケスケの衣を着ているだろ。
これを蝉羽根の衣というそうだよ。蝉が木にとまってジィーと精一杯ないて、ひょいと次の木に移るように、
私たちも蝉羽根の衣を着て仏前にジィーと精一杯、みじかい時間にないて(お経をあげて)、ひょいと次の木(家)へ移ればそれでよいのだ、と教えてもらいました」

妻「なるほど!」

住職「それからいくぶん心安らかになり、真夏の蝉になったつもりで、いや蝉に負けない生命(いのち)いっぱいの声を仏前に捧げて、隣の家に移ることにしているんですよ」

妻「5・6年もの長い期間を土中に 過ごし、やがて生まれ出た短い命とも見えず、精一杯の声をはりあげる蝉のたくましさ、真夏の輝く太陽に最もふさわしい蝉にたとえられて幸せですね」

住職「身体は疲れているけれども、蝉に似せられて心は軽々、身の光栄を感じさせていただかなくてはいけないなあ」

妻「棚経につづいてお寺の施餓鬼会、だいたい月いっぱいは息つくまもなく過ぎ、やがて蝉の声もつくつく法師からヒグラシの声へと移るわけね。本当にお疲れさま」

(今回の蝉羽根のお話は、奈良市高林寺さまの晋山記念に出版された 『高坊 高林寺』(発行所:高林寺、編集者:稲葉珠慶)という本を参照してアレンジ致しました)
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